さて、今日は西葛西での思い出話を1つ書いてみようと思います。タイトルにもあるとおり、お題は「行船公園でスケボーをするのはやめておけ」という話です。
17年前の春先
あれは、遡ること約17年前の春先。高校入学を控えた中学3年生の春休みでした。当時は野球部での部活動に励んでおり、進学する高校も野球をメインに考えて決めた学校でした。
しかし、何を思ったのか中学3年生の私は入学を控えた春休みにスケボーにハマっていたのです。今考えると意味がわかりませんが。普通は野球の練習をしたり、体力作りをしたり、これから始まる練習や高校生活に向けての準備をするはずですよね。
まぁ、一言でまとめるなら「今が楽しければそれで良い」という後先考えない中学生だったのです。
そして、あれはたしか3月の・・・何日だったか忘れてしまいましたが、その日も行船公園で友達を集めて楽しくスケボーをしていました。
西葛西在住の方は一度は見たことがあると思いますが、動物園入口の辺りにあるあの巨大な滑り台なのかなんなのかよくわからない石でできた山があるじゃないですか。
これですね。これをスケボーに乗って滑り降りるという暴挙を繰り返していたのです。(画像参照
悲劇
勘の良い方はもう御察しかと思いますが、悲劇は起きました。
滑り台の山は、大きい方と小さい方があるんですね。で、あの固い斜面をスケボーに乗って滑ると、小さい山の方でも恐ろしいくらいスピードが出るんですよ。
しかし、少しずつ上達してくるとさらに上を目指したくなるのが人間の性。あろうことか大きい方の頂上から滑ってみようぜと、誰からともなくそんな声が聞こえてきました。
そうなると、「男を見せねばいかん」となるのが単細胞な中学生男子。ビビりながらも先頭を切った私は見事に行船公園の石山を滑走し、地面に接面するところで大横転。
スケートーボードが小山を越えて宙に舞い、私はもんどりうって叫びました。
「折れた!折れた!折れてる!痛い!死ぬ!やばい!救急車!(絶叫)」
しかし、周りの友達たちは「いつものことか」と大笑いしています。
「いや、マジだから、これはやばい!死んだ!終わった!」
その間30秒くらいだったと思いますが、事の大きさに気が付いた友達がかけよります。
あまりの痛さにパニック状態で、一生懸命痛みのある脛(スネ)の部分を抑えていたのですが、おそるおそる手をどけてみると、、、
なんと!!!
膝が二つに増えたかのように脛がブラリんと曲がってるではないですか!!!
・・・・・。
・・・・・。
ダメだ・・・、面白おかしく書いてみようと思ったものの、当時を思い出すと怖さと痛さがよみがえってきて・・・。痛い。。
それからすぐに両親がかけつけて、救急車から救急隊員がかけつけました。どう見ても骨折(というか完全に複雑骨折)の状態ですが、事実を信じたくない私は「これ、折れてます?なんなんですか?」などと訳の分からない質問を連発。
真顔で「いや、折れてますよ」と返され意気消沈して担架に乗せられていきました。あの時は本当に親に心配をかけたと思います。
その後、無事に手術を終えて、ボルトやプレートなどを身体にいれて頂きました。なんとか高校野球も最後まで続けることができ、サイボーグ河田という名誉なあだ名もつけてもらうことができました。
17年後
それから17年後、つい先日ですが、手術以来1度も来院していなかった両国の病院に行ってみました。
もし可能ならプレートやらボルトを抜釘(ばっていと読みます。ボルトを抜く手術のこと)できないかと相談に行きましたが、「難しいですね、もう骨と合体してしまってるので、非常に危険です」との回答です。
長々と書いてきましたが、結論は、「行船公園でスケボーだけはするな」ということです。そもそも、あそこスケボーするところじゃないですしね。もちろん小さい子がいなくなった時間を狙って遊んでましたが、危ないですし。やめた方がいいです。
この記事を読んでくれて、「行船公園でスケボーをするのはよそう」と思ってくれる人が1人でもいれば本望です。折れたかいがありました。(それはない)
最後までお読み頂きありがとうございました。しめくくりに痛々しいオペの写真を載せようかと思いましたが、気分を害しそうですのでやめておきます。
また思い出話を思いついたら書きます。
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